2014年11月、俳優・高倉健が83歳で亡くなりました。しばらくしてから健さんに、小田貴という養女がいたことが報じられました。養女は、40億円といわれる遺産を受けついだのですが、その後の行動は謎だらけ…
養女、小田貴との出会い、そして縁組www
出典;https://r-zone.me/2016/11/post-1945.html
以前、小田という養女は「週刊新潮」に養父、高倉健のことを
「恨んでいる」
と話したことがありました。
なぜなのでしょうか…
小田と健さんの出会いは、小田がホテルジャーナリストをしていた頃、香港のホテルのロビーだったといいます。
小田は過去に大部屋女優もやっていました。
出典;http://riotamanews.com/?p=1459
映画関係者がいうには、
「小田はロビーで健さんを見かけ、こんなチャンスは二度とないと思った彼女は名刺を渡して猛アタック」
だったらしいです。
小田は、猛アタックのすえに、家政婦として健さんの自宅に出入りするようになったのが事の始まり。
その後19年、健さんの世話の一切をおこなっています。
これほど長期間にわたり世話になった女性に対し、優しい健さんは、何かを残して上げようと思ったのでしょうね。
それで小田と養子縁組をしたといいます。
だから、小田は健さんの最後を見届けた唯一の人間ということになります。
また、40億円ともいわれる遺産を受け継いだ人でもあります。
次々と消えていく高倉健の痕跡…
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出典;https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170901-00010000-friday-ent
(新たに建てられた、世田谷の豪邸)
理解しにくいことなのですが、小田は健さんの死を福岡にいる健さんの実妹にも知らせず、死後2日で火葬してしまったのですよ。
実妹が、遺骨を分けてほしいというと、遺言で散骨してくれといわれたからと断っています。
また、生前健さんが
「死んだらここへ入る」
といっていた鎌倉霊園の墓地を更地にしてしまいました。
ここには結婚していた江利チエミが、事情があって産めなかった水子墓もあったということです。
世田谷にある豪邸も、健さんの終の棲家はその面影を亡くし、その上に事務所名義で新たな豪邸を建設してしまいました。
そして、個人事務所『高倉プロモーション』の代表にも就任しています。
養女とはいうものの、二人は世田谷の豪邸でともに暮らしていたと言われ、高倉健が“最後に愛した女”ではないかという話もあります。
しかし小田は、公の場にはほとんど姿を現さず、沈黙を続けているのです。
まさに謎の40憶円相続養女です。
小田貴の女としての思いからか⁈
出典;http://riotamanews.com/?p=1459
高倉健の痕跡をことごとく破壊していること…
それらの行動の謎を解くカギが、高倉健の“最愛の人”だった江利チエミにあるのではないかと言われています。
出典;http://riotamanews.com/?p=1459
『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』(講談社)書いたノンフィクション作家の森功氏は、
「高倉健は、ずっと江利チエミへの思いを引きずっていたのだと思います。映画『鉄道員』で流れたのは、彼が自堕落な暮らしを送っていた大学時代に出会った、江利チエミの『テネシー・ワルツ』」
続けて、
「一度火事で焼失しましたが、世田谷の豪邸も元々は江利チエミと暮らした思い出の家です。そんな中で、高倉健の江利チエミへの思いを貴は垣間見たのではないでしょうか。」
さらに、
「おそらく高倉健は世田谷の家に住むようになった経緯などを養女に説明しなかったのでは。そのまま亡くなってしまったので、養女はますます不信感を募らせたのかもしれません。だから、彼女は高倉健の思い出の詰まった家や墓地を破壊したのではないでしょうか」
と分析します。
小田貴の健さんに対しての思いが、愛情から憎しみへ変わったのでしょうか?
ただ、高倉健ファンから言わせれば健さんの痕跡が消えていくことは、きっと許しがたいことでしょう…