阪神大震災から、23年。一人息子からの最初で最後の手紙が生きる希望となった加藤りつこさん(69)の23年とは…
息子の手紙が生きる希望に…
出典;http://news.livedoor.com/article/detail/14171153/
阪神大震災の追悼行事「1・17のつどい」が開かれた神戸市中央区の東遊園地に、神戸大生だった長男、貴光(たかみつ)さん=当時(21)=を失った加藤りつこさん(69)=広島市安佐北区=の姿がありました。
《決してあなたはひとりではない》
加藤さんは、息子が残した手紙に励まされ、全国各地で交流の輪を広げ続けてきた23年でした。
「これからも貴光の夢や生きてきた姿を伝えていくよ」
天国にいる息子に感謝の言葉を届けたのでした。
あの日、貴光さんは下宿先だった兵庫県西宮市のマンションの下敷きになってしまいました。
加藤さんが広島から現場に駆けつけたのは翌日。
遺体が安置された場所に行くと、布団の上で一人息子が力なく横たわっていました。
「一体何が起こったの」
呆然(ぼうぜん)と立ち尽くした、加藤さん…
それはそうです。
あまりにも突然のこと過ぎます。
当時、神戸大法学部2年だった貴光さんは、国連職員になる夢を抱いていました。
夢半ばで亡くなった息子を思うと、無念さと悲しみで胸がいっぱいになりました。
「あの子の最後の言葉を聞かせて」
マンションのそばに立つサクラの木に耳を当て、泣き叫んだのでした。
「生きていても仕方がない」
絶望感にさいなまれた加藤さんを支えたものがありました、
それは、大学入学式の直前、下宿先を訪れた加藤さんのコートのポケットに、貴光さんがそっとしのばせた一通の手紙だったのです。
「あなたから多くの羽根をいただきました」
出典;http://news.livedoor.com/article/detail/14171153/
その手紙には、こう書かれていました。
《私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること…。この20年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました》《住む所は遠く離れていても、心は互いのもとにあるのです。決してあなたはひとりではないのですから…》
丁寧な字でノート1枚にびっしりと書かれた手紙には母への感謝の思いがつづられていたのでした。
丑(うし)年生まれで加藤さんから「うし」とニックネームで呼ばれていた息子が母に宛てた生涯で唯一の手紙でした。
震災後、何度も読み返しては涙を流したそうです。
心が痛くなります。
手紙の内容に感銘を受けた人たちの声が届き、次第に前を向けるようになった加藤さんでした。
「息子のかなえられなかった夢や生きてきた姿を語ろう」
震災翌年から、全国各地で講演活動を始めました。
「手紙は『生きろ』っていうメッセージだったのかもしれない」
と加藤さんは思えたそうです。
東日本大震災後の平成24年、福島県いわき市の高校を訪れ、津波で家族や友人を亡くした生徒らに語りかけました。
「悲しくても、真っ暗闇でも目を開けていれば、いつか必ず光が差すときがくるから」
生徒たちは目に涙を浮かべながら話に聞き入ったそうです。
現在、加藤さんは被災地と交流する会の代表を務め、現地に毎年足を運んでいます。
「かつての自分のように孤独の中で苦しむ人々が少しでも笑顔になれたら」
と人との出会いに喜び、心を通わせてきました。
息子の手紙が紡いでくれた交流の輪を今後も広げていくつもりだそうです。
「亡くなってからもずっと支えてくれてありがとう」
息子があの世へ旅立った時間、天に向かってそう呼びかけた、加藤さんでした。
時が過ぎると私たちの記憶は、残念ながら薄れていくものです。
しかし、薄れさせてはいけないこともある、ということを改めて思い知らされました。