バイクの運転中にトラックに追突され脳挫傷により生死をさまよい、高次脳機能障害が残った俳優森田一休さんが、NHKドラマ「不惑のスクラム」に出演しました。
これは障害を克服し役者として11年でつかんだ初めての連続ドラマ出演だったといいます。
森田さんのこれまでの人生や事故からの奇跡の生還を果たすまでを動画を交えながら振り返ってみましょう。
森田一休プロフィール
名前:森田 一休(もりた いっきゅう)
生年月日:1974年6月28日
年齢:44歳
出身地:大阪府
血液型:O型
職業:役者・ファイナンシャルプランナー
学歴:大阪府立茨木高校卒業
防衛大学校理工学部 2年中退
大阪府立大学経済学部卒業
2012年に結婚、2児のパパ。
詳しい情報は森田さんのブログでどうぞ
なかなかいいですよ。
意外な経歴
森田さんは事故が起きるまでは一般的な生活をしていました。
大阪府立茨木高校を卒業後、防衛大学校の理工学部に進みます。
自衛隊の仕事へのあこがれもあったそうです。
しかし学んでいく中で「もし、このまま俺が死んだら、成仏できない。死んだ時に『生きててよかった』と思える人生を送りたい」と考えるようになったそうです。
そして2年の終わりに退学を決めました。
防衛大学校では様々な知識や体験を積むことができたそうです。
人生に無駄なことはないのですね。
<防衛大学校時代の森田さんの画像>
10代、メチャ若いです。
ここからが森田さん素敵なのところです。
退学を決めた後は再び受験勉強をはじめ、大阪府立大学の経済学部に入学するのです。
そして大阪府内の大手私鉄に就職し、会社が運営する遊園地の企画部門で活躍をしていました。
ここまでは順調な人生を歩んでいました。
突然の事故
2002年2月6日、突然悪夢がやってきます。
森田さんはいつものように仕事を終えバイクで帰宅。
黄信号を確認して停車しようとしたところで記憶がなくなったといいます。
この時、事故が起きていたのです。
病院で目を覚ました際、停車時に後ろから来た大型トラックに追突され、生死をさまよった後に目が覚めたことを知らされました。
診断結果を両親から告げられますが最悪でした。
「びまん性軸索損傷」。
これは高次脳機能障害や視野が狭まる「狭窄」、平行機能障害などが残る症状です。
それにより、記憶障害や集中力、判断力の低下し、感情がコントロールできなくなります。
25歳で知能指数が小学校3年生レベルと判断され親の世話になる生活を送ることになりました。
怒った時は両親や家族にも暴力を振るって、鎮静剤を服用する始末です。
退院後は通院をし、社会復帰をします。
会社は森田さんの状態を考慮してくれて、本社の事務職に配属してくれたそうです。
しかし記憶ができないため、コピーを頼まれても途中でほかの作業をしたら忘れてしまう。
決められた仕事をこなすことが森田さんには難しいのです。
そして感情をコントロールできなくなると、パソコンを壁に投げつてしまったり。
パソコンは3台ダメにしたようです。
森田さんは当時の記憶があまりないといいます。
ただ上司に恵まれていました。
事情を知っている上司は、森田さんがそのような状態になるとすぐに別室へ連れて行って、優しく対応してくれたそうです。
しかし仕事をすることができず、復帰から間もなく、退社することになってしまうのです。
リハビリ中の出会い、そして今が…
退院後は自宅にいることが多くなった森田さん。
森田家は昔からテレビよりラジオが流れている家庭でした。
なので森田さんもラジオを聴いて過ごすことが多くなります。
その日も自然と朝からラジオを聴いていました。
そんな時、俳優の妹尾和夫がパーソナリティを務める朝の帯番組に聴き入ったのです。
4時間半の生放送を聴きながら笑う日も増えました。
そして「うちの劇団で劇団員1期生を募集しますので、受けにきてください」という内容に興味を持ったのです。
そこで森田さんは「劇団に興味はないけど、妹尾さんに会いに行きたい」という理由で応募します。
森田さんはオーデションに合格したいという欲などありません。
ただいつも聴いてる妹尾さんを前にして「おしゃべりができる」という、それだけの感覚で自分のことを話したといいます。
事故のこと、障害のこと全てです。
すると妹尾さんから
「うちで俳優やりながら、リハビリすればいい」と答えが返ってきたのです。
これが俳優になるきっかけでした。
芝居をやるのに「記憶ができない」という不安は多分にあったのですが、森田さんは挑戦することを決めるのでした。
妹尾さんとの出会い、こうして森田さんの俳優人生が始まったのでした。
ここで妹尾さんのプロフィールを紹介しましょう。
<妹尾和夫>
名前:妹尾 和夫
生年月日:1951年11月17日
年齢:67歳
出身地:大阪市大正区
血液型:A型
職業:俳優・評論家・コメンテーター
関西地方で活躍をしていて、劇団パロディフライ座長。
俳優としての修行が脳に奇跡を!
芝居の稽古は楽しかったそうです。
例えば、目の前にビールがなくてもビールがあると思って飲んだりするシーンや料理をする動作を求められます。
そうした動きを繰り返し、リアリティを追求していくうちに、演じる楽しさを身につけていきました。
泣いたり笑ったり、怒ったりと演じていくうちに「こうして感情をつくっていったらいいのか」と考えるようになります。
それを実行していくうちに、事故後に失われていた感情のコントロールが自然とできるようになっていったそうです。
まさしく演じながら、リハビリです。
そして後に劇団の本公演にも出演し、両親を招待。
舞台で活躍する自分の姿を、ものすごく喜んでくれていたそうです。
両親からすれば、事故後、苦楽をともにしてきた息子の晴れ姿。
感無量だったと思います。
セリフはなくとも奇跡のドラマ出演
森田さんは俳優の仕事を通じて、さらに視野を広め力をつけていきたいと考えました。
活動の範囲を東京にも広め俳優の仕事を通じて、さらに視野を広め力をつけていきたいと活動の範囲を東京に向けたのです。
そのため、お世話になった劇団を3年前に退団。
フリーで舞台の活動をしていましたが、知人の紹介で芸能事務所を紹介され所属します。
そして、今年はついにNHK土曜ドラマ「不惑のスクラム」出演のチャンスを得たのです。
「今回、浜田仁志という名前のついた役で連続ドラマに出演するのは初めてなんです。防衛大でラグビーをやっていた経験が生きました」
と森田さんはいいます。
その画像がこちら
劇中でのセリフはないものの、高橋克典さん萩原健一さんが演技をする後方で、練習をしたり泣いたり、笑ったりと、メンバーの一員として出演しているのです。
これこそが奇跡!
森田一休、俳優の生き方を語る
脳障害を乗り越えて、初連続ドラマ出演を果たし語る森田一休
まとめ
森田一休さんはブログで「僕には誕生日が2回あります」と書いてあります。
その通りで1回目は誕生した日、2回目は意識不明からこの世に生還した日…
一度、生死をさまよった人間は直観力や運が強くなるといわれます。
まさしく森田さんには、それを感じます。
ラジオ視聴からの妹尾さんとの出会い、退団してからの芸能プロダクションとの出会い、そしてNHK連続ドラマ初出演…
森田さんの直観と運が良い方向へと導いているのでしょう。
今後の俳優森田一休の活躍が楽しみです。