毎日新聞記者が、原爆投下から3日後の広島で撮影した少女の身元が73年を経て判明しました。当時10歳の藤井幸子(ゆきこ)さん(1977年に42歳で死去)だったのです。
息子が名乗り出「もしかしたら?」
出典;https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180125-00000053-mai-soci
うつろな表情で原子野にたたずむ少女を捉えた1枚の写真。
毎日新聞がニュースサイト内に設けた「広島原爆アーカイブ」で公開されている写真です。
この写真は、毎日新聞大阪本社写真部の国平幸男記者(2009年に92歳で死去)が原爆3日後の1945年8月9日、広島市内中心部での取材中に撮影したものでした。
国平元記者は戦後書いた記事に
「おにぎりをあげると笑顔を見せた」
との逸話を残していたのですが、少女の身元は分かっていませんでした。
それが、この写真をサイトで見た長男の会社員、藤井哲伸さん(57)=東京都調布市=が昨年8月、
「母親ではないか」
と名乗り出たのです。
哲伸さんは戦後撮られた幸子さんの写真を所有しています。
そこで、毎日新聞は異なる2枚以上の写真を重ね合わせて同一人物か調べる「スーパーインポーズ法」の第一人者で知られる橋本教授に鑑定を依頼しました。
すると、1959年撮影の幸子さん(当時24歳)と少女を比べると、目の位置や眉毛の走り、鼻の膨らみがほぼ一致します。
口元にのぞかせる前歯の並びも矛盾がなく、橋本教授は
「両者を別人とするような、明らかな相違は認められない」
としたのでした。
まさに奇跡に近い結果がでたのです。
原爆の時…
出典;https://mainichi.jp/graphs/20170217/hpj/00m/040/014000g/28?inb=ys
哲伸さんや幼少期の幸子さんを知る広島市内の女性らによると、幸子さんは爆心地から東に約1.2キロ離れた市内の自宅で被爆したといいます。
右肘付近まで重いやけどを負いました。
国平元記者による写真の少女も右手甲から肘にかけて包帯を巻いたということでした。
これが、身元判明に至る決め手の一つとなったのです。
息子の哲伸さんは
「当時の母を捉えた写真だと判明したことは奇跡に近く、国平元記者が健在ならばどんな状況だったのか聞きたかった」
と話しているそうです。
73年もの月日を経て、身元が判明したことを幸子さんも喜んでいることでしょう。
まとめ…
今回、遺族から提供された戦後の写真との比較鑑定で、東京歯科大の橋本正次教授(法歯学)が
「同一人物である可能性が非常に高い」
と結論づけました。
さらに、幸子さんと少女の負傷部位が一致する証言も複数寄せられました。
広島原爆資料館は
「被爆直後に撮られた人物が特定できたのは極めて異例」
として、写真の常設展示を検討しているといいます。
当時の被爆現場の現在
出典;https://mainichi.jp/graphs/20170217/hpj/00m/040/014000g/28?inb=ys
出典;https://mainichi.jp/graphs/20170217/hpj/00m/040/014000g/28?inb=ys
出典;https://mainichi.jp/graphs/20170217/hpj/00m/040/014000g/28?inb=ys
出典;https://mainichi.jp/graphs/20170217/hpj/00m/040/014000g/28?inb=ys
切に、もう二度と世界中で戦争が起こらないことを願います。